人・鳥・社会の幸せのために

(1)行動の調和:コンパニオンパロットと仲良く暮らす

サム・フォスター/ジェーン・ホランダー

1950年代、B.F.スキナーという著名な心理学者が動物訓練士のお手本となり、かれはおおかた飼い馴らされた訓練士たちの動物を、スキナー法という行動修正法に適応させました。多くの種類の動物についてうまくいったため、スキナーの原理は動物の行動を修正する学説として、今日に至りました。今でも、鳥類も含めて、よく知られた動物コンサルタントの多くが、条件反射による反応とパターン化という、スキナー氏の基本的前提を擁護しています。ある人々は自身を行動学者と称していますが、それはスキナーの法則にしたがっている、人間の心理学者や博士号を持っている人を、さらに適切にあらわす言葉です。

しかしながら、他に比べてはるかに行動修正の原理に適応できない動物がいます。たとえば、オウムは飼い馴らされた動物ではありません。かれらはいまだに、もともと地球を取り巻くジャングルや降雨林から連れてこられた野生の動物そのものなのです。国内で繁殖されたものでさえ、かれら特有の、野生の鳥としての遺伝的パターンの支配下にあるのです、なぜなら、かれらは野生の祖先からほんの1代目か2代目だからです。

そういう理由で、オウムはコンパニオンアニマルとしての役割においてかれらが経験する、いろいろな状況に対して本能的に反応するのです。この本能的な反応は、時としてかれらが持っている人間のコンパニオンの世界と矛盾します。過去に多くの人々が、かれらの自然な反応、すなわちオウムが、オウムのすることをしているのをを問題行動としました。一般的な取り組みは、問題を識別し、鳥を“改造”し問題を解決するために“行動の修正”をおこなうことです。私たちみんなが知っているように、こういった解決方法は必ずしもうまくいきません、というのは、羽をむしったり、みずからを傷つけたり、恐怖症になったりしているオウムが、まだ数多くいるからです。幸いにして、一部のコンサルタントがオウムの権利のために立ち上がり、このようなアドバイスをしています-かれらは社会的な動物であり、野生の群れの生息地で得られるはずの、自分に集められる注意を大いに必要としているのです。

それでもなお、私たちがコンパニオンパロットを自分のそれぞれのライフスタイルに、もとどおりにはめることができると誤解して信じている一部の人々によって、行動の修正という言葉が漠然と周囲に蔓延しています。この記事では、私たちは用語、さらにその意味を、行動の修正から行動の調和へと転換しようと思っています。それはすべての種類にあてはまりますが、ヨウムとカカトゥーを例にあげ、かれらの性質と動機づけを理解することによって、あなたのオウムとどのように生活すればよいかについてお話しします。この概念を理解すれば、オウムと人間双方に敬意をもって転換することができます。その結果は、真の永遠の友情と交友関係なのです。

カカトゥーとヨウムとのさまざまな類似点を研究するために、過去1ヶ月以上にわたり、ともに協力して緻密な努力を重ねていくうちに、私たちは、コンパニオンパロットにおける問題行動を最終的に解決するためのカギが予防することにある、ということを強く感じています。数ヶ月前、私たちは共通の顧客であり、友人である人と、かれの飼っている2羽のペットバード、タイハクオウムとヨウムについて話をしていました。この人は人間の心理学者で、私たちが会話しているうちに、行動の調和という言葉が浮かんだのです。さらに討論と類推を重ねた後、私たちは、この2つの言葉を、この取り組みのための方法論に関する、私たちの考えかたを正確に言い表している、ということで意見が一致しました。

それでは、行動の調和とはどういうことでしょうか?ごく簡潔に申し上げますが、言葉の背後にある理論は一般的な定義でたやすく判断できることです...ともに仲良く暮らす能力です。それは、コンパニオンパロットの飼主のほとんどが、ペットバードを購入する際に、少なくとも最初に必ずや信じている前提です。残念ながら、オウムの行動が飼主と折り合わないときに、問題がよく起こるのです。この不適合能力の根拠はさまざまですが、それは人間側の非現実的な期待や、知識の欠如の結果、あるいはもっとひどいのは、鳥の知的で感情的な要求に対する反応が間違って伝わることによるものだと思われます。

私たちはこのようなことを何度聞いたり、問われたり、質問されたりしたことでしょう:“なぜ私の鳥はこんな行動をするのかしら?”、“どうすればやめさせられるのかしら?”、“これで“普通”なのかしら?”、“私の鳥が満足していないことはわかっている...私のしたことのどこがいけなかったのかしら?”私たちがこういったことやその他の疑問に対する答えを知っていたなら、私たちだけでなく、鳥類の友達にとっても、どんなに快適か、考えてみてください。残念なことに、それは本来、人と鳥との関係において、決して問題が起きないと保証するものではありません。しかしながら、私たちがこの知能の高い生きものの管理者や保護者として、さまざまな鳥類がする行動について考えられる理由を学び、理解するための初歩の段階から、集中的に努力することができれば、起きる可能性のある問題を防ぐことができ、羽におおわれた私たちの仲間と仲良く暮らすという第一の希望を達成する可能性は、さらに高まるでしょう。

ひとつの例として、私がカカトゥーについて対応策を依頼された、もっとも頻度の高い話題のいくつかを挙げますと、大声で叫ぶ、絶え間なくピーピー泣いたり泣き叫んだりする、攻撃的になる、食べるときの行儀が悪い、ということがあります。残念なことに、きわめて共通した重要な問題はほかにもあるのですが、私は前に述べたことと、行動の調和をどのようにカカトゥーにあてはめればよいか、という点に注目したいのです。ジェーンは、ヨウムと私たちとの関係についての問題に、さらに細かく対応してくれています。しかし、同じ考えかたはカカトゥーにもあてはまります。


叫び声と鳴き声
昔、それもそんなに前のことではありませんが、“無視すればいい、そうすればそのうちやめる”とか、“叫ぶのをやめるまでケージに覆いをしなさい”というのが、絶え間なく叫び声を上げる鳥を扱うための最も一般的なアドバイスでした。人々の多くは、今だにそれがこの問題行動を解決するのに効果的な方法だと思っています。たしかに、叫んだり大声を出したりする原因が数多くあるのは事実であり、それには環境から受けるさまざまな影響や、ときには身体的疾病も含まれます。しかし、カカトゥーの多くがそうであるように、一部の種類について頻繁に起こる問題は、飼主や管理者がごく基本的な感情や知性の要求するものを十分に理解していないと思われることです。これらの要求を認識していないこと、すなわち根本的に無視することによって、受け入れられないとされている行動は、改善されないばかりか、実際にはさらに強くなっていきます。

インターネットリストのひとつに、何年も業界に携わっている人からこのようなコメントがありました、“すべての(鳥の)行動は、習慣が集積したものです。”私たちの鳥が見せる数多くの行動は、野生で学んだのと同様に、学習によって身につけられたものですが、私は、家庭という環境にあるペットに関するこのような根本的な一般論には、反論しなければなりません。問題を詳細にわたって明確にすることもせずになされた、この種の包括的な言動は、一部のコンパニオンパロットの飼主に、私たちが鳥類のコンパニオンの示す行動や反応すべてについて、最終的かつ完全に責任を負っていると思わせるような誤解を与えかねません。事実、私たちのオウムがすることの多くは、修正できない行動や本能にもとづいたものなのです。

レスター・ショートは、“鳥の生活”と題された鳥の行動に関する著書の、“鳥はどうやって学習するか”という章の中でこう言っています、“鳥がすることの大部分は、本能的あるいは修正できない行動が原因です。一方、学習することは、行動が転換するためのプロセスなのです。”

私たちは人間として、親鳥が子どもたちに教える修正可能な、学習によって身につけられる基本的な行動のすべてを教えてやれるように、用意ができているでしょうか?おそらくそうではないでしょう、なぜなら私たちはオウムではありませんし、私たちの羽のある子どもたちとは、世界を見る目が大きく違うからです。しかしながら、私たちは、理解することによって、家庭で繁殖され育てられたオウムについて今日見られる、多くの深刻な問題行動につながりかねない、さまざまな状況を防止することができます。

カカトゥーが野生でどのように反応するかを見ると、ほとんど(2~3の例外はありますが)が、さまざまな規模の群れの中で一生を送ります。かれらが成熟し、つがいの相手を見つけても、巣にこもる時期をのぞいて、しばしば群れのメンバーに残ります。モモイロインコのように、安全のため、そして若鳥を早く群れに適応させるため、恣意的に、互いにぴったりと寄り添って頻繁に巣にこもるカカトゥーも数種います。

野生の場合、カカトゥーは1日のうち相当な時間を、群れを点呼するのに費やします。かれらは飛んでいる間じゅう、いろいろなメンバーが互いに呼び合い、密接な関係を保ち、適切な情報、たとえばどこに行くのか; 十分な食べ物のある場所をすでに見つけてあるか; つがいの相手や他の家族が群れのどこにいるか; 危険が近づいているか、などを互いに知らせるのです。樹木で休んでいる間でも、みんな元気ですぐ近くにいることを再確認するかのように、短く、周期的に鳴きます。この種のコミュニケーションは野生のカカトゥーにとって、とても自然で、大切なことなのです。(注: 見張り役とされる一部のカカトゥーが見せる呼び鳴き行動については、“カカトゥーの防衛手段における3つの‘F’”という記事に詳しく出ています。)

それでは、いろいろな叫び声や鳴き声の背後にある理由が、家庭環境とは少し違うところにあるように思えるのはなぜでしょうか?

これは鳥/人の間に不一致が起こりやすいような状況です。たとえば、オウムはしばしば、私たちと日々やりとりする中で聞こえる音をまねします、というのはかれらがこれをコンタクトコールと解釈するからです。ヨウムは電子レンジのピーという音や、電話の呼び出し音をまねすることで有名ですが、それは、ヨウムにとっては、私たちを自分のところに来させるコンタクトコールとして機能するのかもしれません。

行動の調和という手法を用いれば、私たちが叫び声の背後にある理由がわかったときに、コンタクトコールだと認めるだけで、大きな叫び声のように、注目の欠如によって起こる問題行動を今後防ぐことができるでしょう。わたしたちがオウムの思考プロセスを理解せず、私たちの注意をひこうとする試みを無視すると、次の段階は、もっと大きく耳障りな音になり、しまいには耐えられないほどの呼び鳴き行動になってしまいます。

私がヨウムのコンタクトコールについて研究しているのは、ヨウムが最もものまねの上手な鳥であるという、よく言われている一般論です。言いかえれば、かれらの人間のコンパニオンが部屋から出て行くとしゃべったり鳴いたりし、部屋に戻ってくると黙ってしまいます。しかし、私は、私の飼っているティムネ、ジングを含めて数多くのヨウムを知っていますが、かれらは人々が同じ部屋にいてもいなくてもおしゃべりをし、鳴き声を出します。別の部屋、いわゆる鳥部屋に住んでいるヨウムが、人間の仲間を自分のいるところに来させるためにコンタクトコールをする、ということがありえるのでしょうか?そういうわけで、私たちがそこへ行くとおしゃべりをやめてしまうのです、なぜなら仲間が呼び鳴きに応えてくれたからです。インターネットで検索しましたところ、1日のほとんどを別の鳥部屋ですごすオウムの大部分が、人が鳥部屋から出ていったときだけしゃべり、一方家族のいる部屋に住み、家族の行動に参加しているオウムは、人々がそこにいてもやはりおしゃべりをする、ということがわかりました。

アイリーン・ペパーバーグ博士によると、家族の部屋やリビングルームなどのような、人間の仲間がしょっちゅう訪れる場所に住んでいたヨウムは、人間の仲間の言葉を学習し、私たちの言葉で私たちとコミュニケーションを持ちました。別の部屋で私たちから離れて時間を過ごすオウムは、私たちの言葉を学ぶ機会がそれほどなく、言葉を口ごもるだけです。かれ女によれば、私たちと過ごす時間のたっぷりあるヨウムは、認識して言語を使う傾向がより強くなります。ペパーバーグ博士の研究は、ヨウムはビデオやオーディオテープから言語を学ぶのではなく、かれらが仲間同士の言葉を学ぶために、自然の群れで他の鳥たちと交流するのとほとんど同様に、人間のほうに向けて、人間と交流しなければならない、ということを提言するものです。しゃべる鳥もいれば、しゃべらない鳥もいるという一般論はおそらく、個々の鳥の能力という理由よりも、私たちが、ヨウムが本来持っている群れの行動について理解していない理由によるものでしょう。

カカトゥーがごく早い時期から、すなわち一人餌に切り替わり、環境に適合させるプロセスにおいて、自信をつけ、自由に遊び、群れにおける自分の“地位”を尊重することを教えてもらっていない場合、後になってしつこく叫びつづけるようになるかもしれません。野生のカカトゥーの組識はほとんど、若鳥がしばらく(数年になることもありますが)家族に残って、生き残り、食べ物を捜し、仲間との相互関係を持ち、階級における自分の役割を築くための大事な課題を学習する、というふうになっています。この最初の数年間は、家庭環境にある若い鳥が成長するうえで、きわめて決定的なポイントでもあり、この時期にかれらが学習する課題が、かれらの残された一生を築いていくための積み木となる行動なのです。
[PR]



by soushi914 | 2001-06-15 18:31 | 海外レポート

TSUBASAとCAP!の活動と管理人の日常をご紹介します。
by soushi914
プロフィールを見る
画像一覧
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28

カテゴリ

メモ帳

検索

フォロー中のブログ

ファン

ブログジャンル

画像一覧